ぬくもり

 だから、行かせなければ良かった。
 もっともっと、反対すれば良かった。

 やめてくれ。お願いだから、そんな危険なことは、やめてくれ。
 ノートルダムへの出発前、そう言って引き留める俺に、レニは言ったんだ。
 ボクたちは、プロフェッショナルだよ、と。
 そして俺をみつめて、微笑んだ。

「今のボクにはこれしか言えないけれど…………がんばって。」
 そう、言ってくれた、蒼い瞳。

 でも、守れなかった。
 だから、行かせなければ良かった。
 もっともっと、もっともっと、反対すれば良かった。

 あのぬくもりが、もう戻らないなんて、思いたくない。


「レニ!!!」



「…隊長?」
 白い病室には、柔らかな陽の光が射し込んでいて、その窓辺のベッドに、銀の髪の少女は、いた。
 そして、俺を認めると、やわらかに、微笑んだ。

 その光景を見た瞬間…俺の眼から、ぽろぽろ、ぽろぽろ、涙がこぼれた。
 …とめようとしても、とまらない、溢れ出す想い。
(無事だった)
(無事だった)
(無事だったんだ)
(レニは…また…微笑んでくれている…)
 ぽろぽろ、ぽろぽろ。
「隊長…?」
 レニが、不思議そうにそんな俺を見ている。あの、変わらぬ、蒼い瞳で。
 そんなことのひとつひとつが、俺にとっては、救い…なにものにも代え難い、救いだった。

「…それは、加山さんは、オーバーに言い過ぎたんだ」
 レニが言う。俺は、ベッドの側に、椅子を持ってきて座っている。
「ボクも織姫も、個室には入れられているけれど、それは特別扱いだからで…もう、ほとんど回復しているよ」
 レニは、ちょっと口をとがらせているような。…そんな表情を、するようになったんだね。
「よかった…よかった、レニ…」
「…隊長、さっきから、そればっかりだよ」
 ちょっと呆れたように、俺を見るレニ。
「呆れたかい?…だって、俺はね、レニ。人生最大の失敗をしたかと思っていたから」
「人生最大?」
「レニを、織姫君を、行かせてしまったこと。これで…」
 俺は、すこしどもりながら、ぽつぽつしゃべる。
「…レニを失っていたら」
 顔が,赤いかもしれない。
「俺は…大事な人をなくして、気が狂っていたかもしれないし、後を追っていたかもしれない」
「隊長…」
「ずっと、ずっと、レニが捕まっているのを見た戦いの最中から、レニが苦しめられているのを見ながら、戦いが終わって君たちが加山に助けられても、この病院に入っていると聞かされてここに駆けつけてレニを、この眼でレニを見るまで、俺は、俺は…」
 全然うまく言葉になんかならない。あの絶望の気持ちを、言葉にあらわすことなんて、到底不可能なのかもしれない。…また、ぱたぱたと、涙だけが落ちる。
「隊長」
「レニがいなくなってしまったら。この世から、レニがいなくなってしまったら、俺は」
「隊長」
 ふわ。
 レニが、俺を…その両腕でそっと、包んでくれた。
「レニ…」
 俺は、驚きながらも、そっと、おそるおそる、腕をまわし…そして、その華奢なからだを、抱いた。
 俺たちは、互いの肩に頭を載せ、胸をあわせ、鼓動をきいた。
 もう、ことばなんか、いらないのかもしれなかった。今のこのあたたかさ、それだけで。

「隊長。ボクはね、隊長が…きっと、隊長と、同じように大事なんだ」
 レニが、小さな声で言う。
「大事なものがあるっていうことが幸せだっていうこと、その気持ちが「幸せ」というものなんだってこと、ボクは隊長に教えて貰った。
 いろんな、大事なものが少しずつ増えてきて…
 でも、一番大事なものは、いつもかわらない。ずっとかわらない。ここに来てみて、それが間違っていないこと、やっぱりわかった」
「レニ…」
「ボクの大事なものは、隊長。一番大事なものは、隊長。
 だから、寂しかった。
 だから、ここに来て、ボクがまた隊長の役に立てることになって、本当に嬉しかった…「幸せ」だった」
「でも、だから、あんな、危ないめにあったじゃないか!」
「よかったんだ。いくら、危なくても、ボクの力が隊長の役に立てる、それだけで…「幸せ」だった」
 レニの蒼い瞳が俺をまっすぐ見る。
「隊長。今度の作戦でも、ボクは、隊長のためなら、ボクの命なんて、全然…」
「レニ」
「?…あ…」
 …そんなこと、みなまでいわせるものか。
 レニのはなびらのような唇は、俺の唇ですっぽり包めてしまうほど、小さかった。
 …はなすと、吐息が互いに漏れた。

「レニは、俺が大事」
「うん」
「俺は、レニが大事」
「…うん」
 俺は、いいきかせるように、ゆっくりと言う。
「だから、どっちかがいなくなったら、だめ」
「……うん」
 ことん、と、レニは俺の胸に頭を預ける。
「わかる…よ。今のボクなら、わかるよ、隊長。さっきは、ああ言ってしまったけど…」
「なら、よかった」
 俺は、レニの髪をゆっくりなでる。
「それが、もっともっとの「幸せ」なんだっていうことも…わかる。今は」

「もう、2、3日中に退院できるはずだよ」
「じゃあ、その時は迎えに来るからね。」
 俺は、立ったけれど、横になったレニの手を握ったまま、離したくない。
「うん、でも…隊長には、任務があるんだから」
「いくら任務があったって…」
「それじゃだめだよ、隊長」
 レニが怖い顔をする。
「隊長は、巴里華撃団の隊長なんだよ。そのことを、ちゃんとわかってなかったら…それよりも、ボクの退院の迎えなんていうことに重きを置くようだったら…
 ボクは、…許さない」
「許さない…?」
「…隊長が、任務を立派に遂行している、っていうことが、ずっと帝都を離れてる理由なんだから。
 …帝劇に…ボクのそばにいてくれないっていう、理由なんだから…。」
「レニ…」
 俺は、今、胸がいっぱいだ…。
「だから、隊長は、巴里華撃団の隊長として、立派に1年間の留学を終えて…」
 レニ、頬が赤い。俺の目をまっすぐ見られない…そんな顔は、俺にしか見せてくれてないと思ってしまっていいのかな?
「はやく…帰ってきて…」
 俺たちは、また、無言で抱きしめあった。

 病院を出ると、平和を取り戻した巴里の空は茜色に染まって、雲間からところどころ光がさしていた。
(天使が降りてくる、っていうんですよ)
 そう、エリカ君が言ってたっけ。
 俺の天使は、降りてきてくれた。
 俺は、受け止めて、そのぬくもりを守ってみせる…とこしえに。  

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